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クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲について、悪役であるケンとチャコの視点から考察します。
彼らの言動の節々から、二人は夫婦ではなく不倫関係にあったのではと考察することができます。
下記では具体的に映画であったシーンを取り上げながら、なぜそのような考えに至ったかを書いていきます。
目次
ケンの愛車の2000GTについて
ケンが魂と称する愛車の2000GT。
トヨタ自動車とヤマハ発動機の共同開発体制で生産されたモデルで、高級車です。
1967年から1970年までの約3年間のみ生産され、その希少性から多くのコレクターの憧れとなっています。
ポルシェやフェラーリに負けないスーパーカーとして愛され、2013年に行われたオークションでは1億以上の額で入札されました。
この入札金額は日本車としては過去最高額です。
また、2000GTは上記の共同開発体制の影響で「開発丸投げモデル」と揶揄されることもあります。
共同開発体制と言うと聞こえはいいですが、開発・生産において大部分をヤマハ発電機が占めていたと噂され、それをトヨタブランドと呼ぶのは本当に正しいことなのかという主張が相次ぎました。
一部評論家からは「トヨタの"責任感"が無さ過ぎる」と評されることもあるようです。
そんな車に、ケンは乗っている。
今作の最大のテーマは"オトナ"だと思いますが、そもそも大人と子供の違いとは何でしょうか。
様々な意見があると思いますが、一番大きなものは"責任が有るか無いか"ではないでしょうか。
人は年を重ねるごとに、自由と引き換えに一つ一つの行動に責任を課せられます。
そして、不倫は家族という責任を放棄する行為=オトナではない行為 です。
作中でケンを象徴する2000GT。
ケンの個性を物体的な形で表現するこのスーパーカーが、たまたま映画の命題と一致したとは考えにくく、物語の一貫性を裏付けるメタファーとして機能していると考えられます。
「夫婦なの?」という質問に対して否定の返答
しんのすけがオトナ帝国に心酔していたひろしとみさえを正気に戻し、直後ケンに自宅に招かれるシーンにて。
ひろしが「二人は夫婦なのか?」とはっきり問いかけていますが、それに対してケンは「いや。」と否定の返事を返しています。
このシーンを皮切りに、二人は夫婦ではなく何か別の関係性を持っているのではということを暗示する出来事が起きていきます。
この時点では不倫と断言することはできませんが、なぜある程度年を取っていそうなケンは結婚していないのか?という疑問がわきます。
また、その後の「未来を手にしてみせろ。」という返事も、どこか含みを持った印象です。
そもそも、ケンが野原一家を拘束するのではなく、オトナ帝国内にある自宅に招いたという点もおかしな話です。
その前のカーレースのシーンにおいて、ケンは愛車の2000GTをしんのすけに放尿されています。
愛車を自分の魂と称するケンにとって、これは許しがたい事実なはずです。
しかし、この自宅のシーンではまるでそのようなことは起きていなかったかのように黙認されています。
つまり、ケンは自分の魂を汚した しんのすけ=子供 を何か特別な謝罪があったわけでもなく、無条件に赦しているのです。
このことからも、ケンが"子供"に対して何か特別な感情があるのではと考察することができます。
また、無責任の象徴である2000GTに責任を放棄される側の子供が放尿するという図式自体も、先の黙認と併せて映画の主題を際立たせて見えます。
ケンとチャコの思考のズレについて
上記同様、オトナ帝国のケンの自宅シーンにて。
野原一家を見逃し、オトナ帝国の野望を阻止するチャンスを与えたケンに対してチャコは疑問を抱きます。
「どういうつもり?(どうして見逃したの?)」と問いかけるチャコに対して、ケンは「最近走っていないな。」と曖昧に濁した返事をします。
ここに、初めてケンとチャコの思考にズレが生じていることが読み取れます。
チャコはオトナ帝国の計画を遂行するために、野原一家を見逃すべきではなかったと考えています。
しかし、ケンはなぜか野原一家を見逃して計画に不確定要素を持ち込んでしまった。
このシーンから察するに、ケンはどこかで自分の行動を誰かにとめてもらいたいと考えていたのではないでしょうか。
つまり、
チャコは計画を遂行することに一切の疑問がなく、
ケンは計画の遂行にあたり、ためらってしまう"なにか"があった。
ということになります。
先のケンが"子供"に対して特別な感情を抱いていた、という点と繋げて考えるとこの時点でもいくつか候補が絞られてきます。
「家族がいる幸せを、あんたたちにも分けてあげたいくらいだぜ」という台詞への反応
鉄塔のエレベーターにて、ひろしが扉をこじ開けようとするシーンにて。
ケンはひろしに「くだらない人生だったな。」と侮辱の言葉を投げかけるのですが、それに対してひろしは
「俺の人生はくだらなくなんか無い!家族がいる幸せを、あんたたちにも分けてあげたいくらいだぜ。」
と返答します。
これを聞いたケンは急に眉をしかめさせ、チャコはケンを気遣った後に部下たちへひろしを今すぐ引き離すように指示を出します。
ここで注目していただきたいのが、このひろしの発言からエレベーターのドアが閉まるまでのケンについてです。
その間、一言も言葉を発していません。
また、チャコがひろしを引き離そうと躍起になっているときにも、我関せずと言わんばかりにどこか遠くを見ています。
このシーンからも、ケンは"家族"というキーワードに何か特別な意味を持っていることが読み取れます。
反対に、チャコは"家族"というキーワードに対して一切特別な感情を抱いていないということも読み取れます。
不倫は相手の家庭を傷つける行為なので、相手の家族に対して無感情でいられることが必要条件です。
このように、"家族"に対する反応の仕方で不倫という図式を象徴していると考えられます。
しんのすけ=子供 がぼろぼろになりながら二人を追ってくる
しんのすけがケンとチャコの野望を阻止するべく、鉄塔の階段を駆け上がるシーン。
有名なワンシーンなので、ご存知の方も多いかもしれません。
しんのすけ = 幸せな家庭の象徴
として見ることができるので、
ケンとチャコが"最後の決断"をしようとしているところを後ろから迫っている図式が成り立ちます。
また、ここのしんのすけの懸命に駆ける様子から、子供への強い感情も読み取れます。
チャコの不妊、何らかの理由から中絶を余儀なくされている可能性、なども考えられます。
しんのすけがケンとチャコを阻止するシーン
鉄塔を最後まで上りきり、しんのすけがケンとチャコの"最後の決断"を阻止するワンシーン。
ここでしんのすけはチャコではなくケンの足にしがみつき、歩みを止めさせようとします。
"子供"という責任の象徴が、ケンの"最後の決断"の完遂の阻止を図ります。
この図式からも、"最後の決断"=不倫の完遂の読み取りができます。
そして結局は、"最後の決断"は未遂で終わります。
ケンとチャコの飛び降りをしんのすけと鳩の家族が阻止する。
最終シーン。
ケンとチャコは、塔から飛び降りを図ります。
しかし、しんのすけの「ずるいぞ!」の一声と、鳩の家族の羽ばたきによって飛び降りは未遂に終わります。
チャコは「死にたくない」と泣き崩れ、ケンは「また家族に邪魔された」とつぶやきます。
"また"という発言に注目して欲しいのですが、"また"ということはその前にも何かを家族に阻止されていることを指します。
その"また"とは、これまでの流れから考えるに不倫のことを指しているのではないでしょうか。
最後に
少し前にabemaTVで本作を再放送していたため、思わず書いてしまった記事でした。
あまりまとまっていない状況で形にしてしまったので、読みにくい部分が多いかもしれません。
粗も多いと思うので、随時加筆と修正を加えていく予定です。
私が小学生くらいのときに見た作品だったのですが、大人になってから改めて見てみると感慨深いものがあります。
責任を放棄するオトナ帝国とケン
家族の大黒柱として、責任を持って幸せを掴むひろし
の構図が面白いと感じているので、
今後も考察を深めていければと思います。
ー2020 5/17 追記ー
オトナ帝国の逆襲がAmazonプライムのプライムビデオで無料で見れるようになっていましたので、共有します。
この記事を書いたころは見れなかったので、このタイミングは結構ラッキーかもしれませんね。
まぁ、この記事を見に来ている人はオトナ帝国の逆襲を既に見終えている方が多いとは思うのですが、考察を見てから映画を見返すと新しい発見もあると思うので、気が乗った人は見返してみると面白いかもしれません。
ではでは、またいつか縁があればお会いしましょう。